山と信仰
不可思議
それは、人が人になるための時間
お遍路に出会い、狐という存在が大切なものとなり、約2年。
これまで沢山のご神仏に大変お世話になりました。
特に、お山の寺社仏閣に参拝するのが好きなのですが、その中で出会ったのは「不可思議な時間を大切にしよう」という気持ちでした。
何もかもが管理・整理されて、心にも無駄のないことが良しとされる時代。
生活にも、合理性ばかりを求めているなと思うことがございます。
でも人間には、理屈ではない、自分自身の生命力のようなものに動かされるときがある。
そこには、不可思議がある。
不可思議とは、頭では理解できない物事のこと。
考えることから離れる時間は、人生の余白。
人が人に成長するための、大切な時間。
非合理的であっても、排除してはいけない非日常です。
山や寺社仏閣で手を合わせる時間も、そのうちの一つなのだと思います。。
普段どのようなお立場にあっても、同じような時間を大切にされている方は、沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
実際、古くから信仰の残る場所を尋ねると、堅いスーツに身を包んだ壮年の男性から、ご老人、流行りの服を着たお若い女性まで色々な方をお見かけします。
人間が人間であるための大切な要素として、不可思議な時間を肯定する。
山に行き、祈りを託し、現実社会の中で生きている人の安心(あんじん)を支える。
金狐舎の縁起物は、そのようなものであればいいなと思っています。
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